日本の献血の歴史——「売血」から「献血100%」への道のり
公開 2026/08/22
戦後:血液は「売り買い」されていた
1950年に日本初の民間商業血液銀行が設立され、輸血用血液は売血(自分の血液を有償で売ること)で供給されていました。1952年には日本赤十字社も血液銀行を開設。1956年に「採血及び供血あっせん業取締法」が施行されますが、血液を金銭で集める構図は続きました。
「黄色い血」問題(1962年〜)
生活のために売血を繰り返す人の血液は、赤血球が少なく血漿の黄色が目立つことから「黄色い血」と呼ばれ、輸血後肝炎の多発など品質・倫理の両面で社会問題になりました。1962年には「黄色い血」追放運動が始まり、学生を中心に全国へ広がります。
1964年:ライシャワー事件と閣議決定
1964年3月、ライシャワー駐日アメリカ大使が暴漢に刺され、輸血を受けた後に肝炎に感染する事件が起きました(ライシャワー事件)。これが決定打となり、1964年8月21日、政府は「輸血用血液を献血により確保する体制を確立する」ことを閣議決定します。この日が現在の「献血の日」(8月21日)の由来です。1963年時点でわずか2%程度だった献血由来の輸血用血液は、ここから急速に増えていきます。
預血から、献血100%へ
1969年に売血による輸血用保存血液の製造が中止され、献血した量を「預けておく」預血(よけつ)制度へ移行。そして1974年(昭和49年)、輸血用血液のすべてを献血で確保する体制が確立し、預血制度も廃止されました。閣議決定からわずか10年での達成です。1990年には有料採血が完全に廃止されました。
2003年:血液法の施行
薬害エイズ問題などの教訓もふまえ、2003年に採供法が「安全な血液製剤の安定供給の確保等に関する法律」(血液法)に改められ、安全性の向上と安定供給の確保、国内自給の推進が法律の目的として明記されました。ただし血漿分画製剤の一部は今も輸入に依存しており、「完全自給」への歩みは現在も続いています。
歴史を知ると、献血の見え方が変わる
無償のボランティアで血液がまかなわれる仕組みは、先人が売血の悲劇から学んで作り上げたものです。次の60年へつなぐ一歩として、近くの献血会場を探してみてください。
よくある質問
Q. 「献血の日」はいつですか?
A. 8月21日です。1964年8月21日に政府が「輸血用血液を献血により確保する体制を確立する」ことを閣議決定したことに由来します。
Q. ライシャワー事件とは何ですか?
A. 1964年3月、ライシャワー駐日アメリカ大使が刺され、輸血を受けた後に肝炎に感染した事件です。売血による血液の危険性が広く知られるきっかけとなり、献血体制への転換を決定づけました。
Q. 日本で売血はいつまで行われていましたか?
A. 輸血用の売血由来保存血液の製造は1969年に中止され、1974年に輸血用血液の100%献血化を達成。1990年に有料採血が完全廃止されました。
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